八角博士の異常な愛情


 

 「歩美くん! とうとう完成したぞ! 歩美くん!」
 狭苦しい研究室の中を、八角博士の叫び声が響き渡る。この研究室はもとは白い壁だったはずなのだが、至る所に貼られたポストイットや計算式の落書き、
 何やら得体の知れないガラクタで覆い尽くされて、もはやどこに壁があるのかさえ定かではない。
 「歩美くん! 何をやっておるのだ、一体! 全く、このわしが今世紀最大の発明をしたというのに……! 助手としての意識が足りん! 歩美くん!」
 「ふわぁい……なぁんですかぁ、はっかく博士ぇ……」
 仮眠室のソファでの幸せな午睡の夢をぶち壊された歩美は、ちっちゃくて丸いヒップをぼりぼりと掻きながら、八角博士の前に出てきた。
  「白衣はセンスがダサいから、嫌」という歩美の発言に八角博士が反対したため(科学者の助手(しかも美人)たるもの白衣着用は義務であぁる!)、
  せめてもの抵抗としてお腹のところにうさぎさんのアップリケを付けている。
 「なぁんですかぁ、ではない! わしはついにやったのだよ、歩美くん! とうとう完成したのだ!」
 博士は興奮して手足をばたばたと動かしながら喋り散らす。子供がおもちゃを買って欲しくて駄々をこねているようだ。
 「まぁた、今度は何を発明したんですかぁ? こないだ言ってた「自走式まごの手」ですかぁ?
   あ、それとも「最後の一滴までジュースを飲めるストロー」ですかぁ?」
 ふわぁぁぁぁ、とかばさんにも負けない位の大あくびをしながら、歩美は聞いた。
 「何を言うか! この発明は、そんなちゃちなものではないっ! 人類史上、歴史に残るべき大偉業をわしはやってのけたのだ!」
 興奮して口から泡を飛ばしながら博士はまくしたてる。
 「今日この日から、世界が一変するのは間違いない!この地球上の40億のろうにゃくにゃんにょ……(こほん)老若男女が、わしの発明に感謝の涙を流すのだ!」
 「今は世界人口は50億じゃぁないですかぁ?」
 コンパクトで前髪を直しながら歩美が言う。
 「ぐっ……そんな些細なことはどうでもいい!わしは、とうとうやったのだ!」
 「だからぁ、何をやったんですかぁ? あ、まさか痴漢とか」
 両手をぐーの形にして口元に持っていき、斜め45度の視線で疑い深そうに博士を見る。
 「なっ、ななななにを馬鹿なことをっ! わしゃ生まれてこのかた、痴漢なんぞという破廉恥な行為はしたいとは思ってもしたことがないっ!

わしは我慢強いのじゃ!」
 真っ赤になって否定する博士。
 「きゃはははは。赤くなってるぅ。だからはっかく博士からかうと面白いんだよねえ♪」
 博士は何とか気を取り直して、
 「いいか、よく聞け。わしはな、ついに完成したんじゃよ。人類の憧れ、世紀の大発明、未曾有の機械をな!」
 「だからぁ。何を作ったんですかぁ? もったいぶるほどのもんじゃないでしょーに、どーせ」
 「いいか。わしはな。完成したのじゃ。……『物質転送機』をな!」
 誇らしげに胸を張る博士。鶏がらのような貧相な身体なので、残念ながら威厳と言うものはそこには、無い。
 「へえ……電気掃除機ですかぁ? それならあるじゃないですかぁ。壊れかけたのが」
 気の抜けた歩美の返事。がくっ、と博士はずっこける。
 「掃除機ではないっ! 転送機じゃ、て、ん、そ、う、き!」
 「えぇ? 扇風機? だってエアコンあるじゃないですかぁ。夏暑くて、冬寒いけど」
 「……どういう耳をしとるんじゃ。そうじゃなくって……」
 頭を抱える博士。何と言って説明すればわかるのか。
 「いいか、物質転送機というのはだな、任意のA地点からB地点まで、全く時間がかかることなく、一瞬で瞬間移動する機械じゃよ。
   ほれ、『宇宙大作戦』でも出てたじゃろう?」
 「『宇宙大作戦』? なぁに、それ?」小首をかしげる歩美。
 「ああ……今は『スタートレック』とか言うのか。ほれ、それに出てたじゃろう?『転送!』とか叫ぶと一瞬のうちに宇宙船の中から惑星の上に移動したり……」
 「あたし『スタートレック』観てないもん、知らなーい」
 「がっくり……お前は、あのSFの古典も知らずに、科学者の助手をやっておるのか……」
 ふう、と大きくため息をつく。
 「まあいい。何といえば分かるかな……ああ、まあ、『どこでもドア』みたいなもんじゃ」
 「あー、ドラえもんに出てきたのですねぇ。わかりますぅ。へー、はかせ、ドラえもんの道具なんか作っちゃったんだぁ。すごいすごい」
 ぱちぱちぱち、とちっちゃい手のひらで可愛く手を叩く。
 「あ! 思い出した!」
 と、急に大きな声を出す歩美。
 「それって、人間がハエになっちゃうやつでしょ! やーよあたし、ハエなんかになりたくないもん」
 「また妙なものは知っとるんじゃな……大丈夫じゃ、ハエ男にもエビ女にもなりゃせん。
   複数の生命体が転送されるときはそれぞれの個体それぞれで転送されるようになっとる。大体あの映画には疑問があるのじゃ。
   人間には腸の中や皮膚の表面に何億何兆もの細菌が棲んでいるのじゃ。ハエと融合するくらいなら、当然それらとも融合してるべきじゃろうて。」
 「でー、それって、すごい発明なんですかぁ?」
 指を軽く頬に触れ、ちょっと首をかしげて歩美は聞く。
 「すごいも何も」ふん、と鼻息荒く八角博士はまたもや胸を張る。が、鼻毛が数本出ているため、いまいち威厳に欠ける。
 「いいか、一瞬のうちにどこへでも移動できるのだぞ。正に『移動革命』じゃ。まず、車、電車、飛行機等の輸送手段が一気に必要なくなるな。
   懸念されておる二酸化炭素問題も一挙解消じゃ。当然、人だけでなく荷物も瞬間移動できるわけだからして、
   『すいません、その本、今ちょっと売り切れちゃってぇ……』などど、吉岡美奈の写真集を買い逃すこともなくなるのじゃ!」
 「えー、はっかく博士、吉岡美奈のファンなんですかぁ? あんなの、胸がおっきいだけで、頭ぱーぷーじゃないですかぁ」
 吉岡美奈、と言うのは最近売り出し中のグラビアアイドルだ。
 「やかましい! 胸は男のロマンなんじゃ!」
 好きなアイドルを貶されて、八角博士はおかんむりのようだ。
 「せめて、研究室の壁にアイドルのポスター貼るのだけでもやめてくださいよぅ。あれでもセクハラになるんですよぅ?」
 小首を傾げて歩美は言う。確かに、研究室の壁には計算式などの合間を縫ってグラビアアイドルのポスターが何枚も貼られている。八角博士、どうやら巨乳趣味らしい。
 「そ、それくらい良いじゃろうが……あれはわしの心のオアシスなんだからして……」ぶつぶつと言い訳をする。
 「でぇ、その発明って、お金になるんですかぁ?」
 「あたりまえじゃ! 今までの輸送交通機関に取って代わる大発明なんじゃからして、これが売れればがっぽがっぽのうはうはじゃよ!」
 「わぁ、じゃあお祝いに温泉行きましょうよ温泉♪」
 「うむ、何なら前祝いで今からでも行くかいの」
 「熱海とかいいなあ。お魚とかおいしそーだもん。温泉も気持ちいーだろーなー」
 「ゆ、湯上りはやはり、浴衣じゃよなあ?」何やら興奮して八角博士が言う。
 「もっちろん♪ 温泉に行ったら当然、浴衣でしょう♪ あ、はっかく博士、あたし浴衣姿でお酌してあげますね♪」
 「ゆ、湯上り美人が浴衣でお酌………」八角博士の息が荒くなる。「湯気の立つうなじのほつれ毛……ちらりと見える生足……うう、ええのう、浴衣でお酌……」何やら妄想を逞しくしている様子だ。
 「あ、ゆ、浴衣姿でピンポンもやろうじゃないか! 温泉と言ったら、当然、ピンポンじゃい」
 「えー、あたし強いですよう?」
 ピンポンの激しい動きに乱れる浴衣、ちらりと見える(かも知れない)胸元、いろんな妄想に駈られていても立ってもいられない八角博士だ。
 「えーと、なに着てこうかなあ……こないだ買ったチャイナとか着てこうかしら」
 「チチチ、チャイナ!」敏感に反応する博士。
 「いいい色は、何色だね?赤かね?」
 「えーと、赤と青とあるんですけどぉ……どっちがいいかなあ」
 「赤! いや青も捨てがたい……そ、そうだ、スリットは当然、横だろうね??」
 「そうですよ? 横にこう、ざぁっとスリットが入ってるやつです」
 「をおおおおおお!」すでに興奮して手がつけられない八角博士。
 「あ、奥さんも誘ってあげましょうねえ」
 奥さん、の言葉を聞いて八角博士の顔色が暖色系から寒色系へと一気に変わった。まるでリトマス試験紙のようだ。
 「奥さん……うむ、いや、だから何だ、この研究所の祝いだからして、二人で行こうじゃないか。ああでも後でバレたらどうなるか……いやしかし浴衣でお酌……むむむう」
 苦悩しまくる八角博士。その場にしゃがみ込み、ロダンの「考える人」のポーズで黙り込んでしまった。
 ぶつぶつと何やら呟いている。「チャイナ」とか「浴衣」とか「湯上り」とか。
 急に「ああっ奥さんごめんねごめんね、許してっ!」と叫んで頭を抱える。何やら妄想がいやな方向に進んでしまったようだ。
 歩美は細い腰に手を当ててそんな博士を眺めながら、「こーゆーのって、恐妻家って言うのかしらね」とため息をつく。
 「はかせぇ。それより、その発明したってのを見せてくださいよぅ。」
 歩美がにっこりと八角博士の顔を覗き込み、そう聞く。
 「発明……発明……そうじゃ!」
 がば、と起き上がる。
 「わしは世界でも有数の発明家なんじゃからして、奥さんなんか怖くもなんともないわい! わははは!」
 何とか気を取り直したようだ。
 「……今度、『奥さんが怖くなくなる薬』とか作ろうかな……」
 多少、弱気な部分は残っているが。
 「さて歩美くん。見せてあげよう、わしの偉大な発明品を!」
 とりあえず、すっくと立ち上がって威厳のあるポーズ(と自分では思っている)を取り、自信ありげな声でそう叫ぶ。
 「それは……あそこにある!」
 びしぃ、っと指を指した方向にはいろんなガラクタに紛れて洗濯機が一つと冷蔵庫が一つ置いてある。それぞれの機械からは電線がびっしりと部屋の隅の操作パネルに伸びている。
 「え? どこ? どこ?」
 歩美には博士が指差したものがわからない。きょろきょろとプレーリードッグのようにあたりを見回す。
 「ええいもう、助手のくせに何でわからんのか! これと! これじゃ!」
 ばん、ばん、と洗濯機と冷蔵庫を手のひらで叩く。
 「えー。それが発明品ー? だって、洗濯機と冷蔵庫じゃないですかぁ。こないだ博士がごみ置き場から拾ってきたやつでしょう? 博士、貧乏性だなあって思ったもん」
 「外見に惑わされるでない。これこそが、世紀の大発明なのだよ歩美くん」
 誇らしげに洗濯機によっかかる八角博士。
 「えー、でもぉ、その冷蔵庫の中にはあたしが買ってきたプリンが入ってるんですよう?」
 きょろん、とした目で冷蔵庫を指差し、首を傾げる。
 「なな、なに、いつの間に」慌てて冷蔵庫を開ける博士。
 「ああ、わしのビールまで入っておるではないか。すっかり生ぬるくなっておる。歩美くん、冷蔵庫が使えるか使えないかくらいわからんのかね?」
 「えー。だって、うちの冷蔵庫、ちゃんと冷えないじゃないですかぁ。だから博士が新しいの、ってごみだけど、拾ってきたのかなあって思ってたんですよぅ」
 「廃品回収はわしの趣味じゃ! いや違う、廃物利用こそが発明の極意なんじゃよ歩美くん。君も助手ならよく覚えておきたまえ」
 「って、どーせお金がないから廃品利用しただけのくせにねぇ」
 ねー、と棚のぬいぐるみに話し掛ける。ぬいぐるみは歩美が勝手に持ってきたもので、犬、猫、カラス、ふくろうなどすでに20個近くが棚に鎮座ましましている。UFOキャッチャーで取ってきたものが多い。
 「まあともあれ、これがわしの発明した物質転送機じゃよ。驚いたか歩美くん」
 相変わらず誇らしげで貧相なポーズを取り続けている。ばんばん、と洗濯機を叩く。がたっ、と蓋が外れ、慌ててそれを直す。
 「へぇ……で、それって、何ができるんですかぁ?」首を軽くかしげながら歩美が聞く。
 「がくっ……全く、お前はなにを聞いとるんじゃ……いいか。物質転送というのはだな……」
 そう言いながら八角博士は白い紙を取り出し、サインペンでキュッキュっと四角を二つ描く。洗濯機と冷蔵庫のつもりのようだ。
 「いいか、こっちの洗濯機に例えばわしが入る。で、然るべき操作をすると、わしの構成物質を素粒子レベルにまで分解し、こっちの冷蔵庫で再構成、これすなわち物質転送の原理じゃ」
 紙に人の形やら矢印やら素粒子のつもりの点々を描きながら、八角博士は説明する。
 「へぇ……はかせ、絵、下手くそなんですねえ」
 その紙を覗き込みながら歩美は言う。
 「ぐっ………」
 その言葉が、八角博士のプライドをいたく傷つけたようだ。
 「……いーんだ、いーんだ、どーせわしは絵が下手じゃよ。下手なくせに絵が好きで、お絵かきサイトなんか作ってるけど、どーせ助手にさえ笑われるほどの下手さ加減じゃよ……」
 その場に蹲り、何やらぶつぶつと言いながらいたく落ち込んでいる様子だ。
 「あっ、はかせごめぇん。上手、上手ですよう。この素粒子の点々なんか、もう最高にお上手! ピカソも真っ青ですよう」あわてて歩美がフォローする。
 「いーんだ、どーせわしの絵は下手くそなんだ……」
 だが博士はいじけたままだ。よっぽどショックだったのだろう。
 「はかせはかせぇ、早速転送機、実験してみましょうよぅ」
 歩美があわてて話題を変える。
 「いーんだ……どーせ絵の下手なわしの発明なんて何の価値もないんだ……」
 どうも博士のプライドにクリティカルヒットしたらしく、そう言われても膝を抱えて蹲っている。
 「そんなことないですよう。はかせは世界一の発明家ですよう。さ、実験してみましょうよう」
 歩美は博士の袖を引きながら一生懸命説得する。
 「ほら、世界50億の老若男女がはかせの発明を待ってますよぅ。みんなきっとびっくりしますよう。はかせのこときっと尊敬しちゃうと思うな」
 「そ、そうか?」上目遣いで歩美を見上げる。
 「そうですよぅ。歩美も、はかせの発明、見てみたいもん。さ、早く立って!」
 強引に袖を引き、立ち上がらせる。
 「そうじゃ……そうじゃな、わしには発明がある、この優秀な頭脳がな。絵が下手なくらいなんじゃい。よし、歩美くん。早速実験開始じゃ!」
 何とか立ち直ったようで、歩美もほっとする。博士がいじけると、普段はなかなか立ち直れないで、研究室の空気を数トンばかり重くするのが常なのだ。
 「よし、じゃあ歩美くん、そっちの洗濯機に入ってくれたまえ」
 「嫌です」きっぱりと言う歩美。
 「嫌ですってそんなはっきりと。助手たるもの、博士の研究に積極的に協力するのが筋というものではないか」
 困惑して博士が言う。
 「やですよう。そんな、一度あたしのナイスバディが素粒子だか越後獅子だかに分解されて、また再構成されるんでしょ? 再構成のときにあたしの自慢のプロポーションが台無しになったらどう責任取ってくれるんですか?」
 「そんなことにはならんて」あわてて博士が言う。「ナイスバディ」という発言に関して一言あったのだが、それはぐっとこらえて言わないようにする。一度「歩美くんも吉岡美奈くらいのオッパイがあったらなあ」と言って、こっぴどい目に遭っているからだ。その時の痣は、まだ残っている。人間、学習能力があるのだ。八角博士も例外ではなく。
 「しかしじゃあ、誰が被験者になるというのじゃ?」
 「はかせにきまってるじゃないですかぁ」
 「ななななんでわしになるんじゃ!わしは博士じゃぞ!」
 うろたえて博士は叫ぶ。
 「はかせだからですよう。あ、それとも何ですか、自分の発明に自信がない、とでも? 万一失敗したらとか考えてるんですかぁ?」
 上目遣いで睨み付けるように博士を見る歩美。この目線は、慣れていてもなかなか怖い。
 「いややや、このわしの発明がよもや失敗なぞするわけがないじゃろうが。大丈夫だから、大人しく洗濯機に入りなさい」
 「嫌です」
 だいたい何で洗濯機なんかに入んなきゃいけないのよ、とぶつぶつ言う。
 「あ、やっぱはかせですよう。ほら、被験者第一号ってことで歴史に名前が残りますよう。ガガーリン少佐みたいに。それに、自分の発明なんだから、やっぱまず最初の実験は自分でやったほうがいいですよう。ジェンナーだって種痘の実験はさいしょは自分の子供にしたんですよぅ。それにほら、初物は縁起がいいって言うじゃないですかぁ」
 「む、む……そうか……歴史に名が残る……初物は縁起がいい……そう言われればその通りじゃな。じゃ、今から操作方法を説明するから……よいか、決して間違えるでないぞ。まあごく簡単な操作じゃから、歩美くんにもできるとは思うが」
 「はーい♪」実験台になるのを逃れてほっとした歩美は、生き生きと返事をした。
 博士と歩美は操作パネルの前に立ち、博士が説明をする。
 「よいか。このわしの発明じゃからして、万が一にも危険なことはあるまいが、それにしても一度身体を素粒子レベルにまで分解するのじゃ。もし万が一失敗したら、今後一生素粒子の雲のままで過ごさねばならんのじゃ。ゆめゆめ、機械の操作を間違えるでないぞ」
 「はぁーい。で、どうするんですか?」
 「よいか。」重々しい声で、「ここにスイッチがあるじゃろう」
 「はい」
 転送、とだけ書かれたスイッチが、数々のメーターやらダイヤルやらの中に、ひときわ大きく存在している。
 「これを、押すんじゃ」
 「はい。それで?」少し緊張して歩美が聞く。
 「それでって……それだけじゃ」
 「はぁ?」気の抜けた声で歩美が言う。
 「それだけじゃ操作なんか間違えっこないじゃないですかぁ」
 「いやいや、それが肝心なのじゃ」博士は人差し指だけ左右に振り動かして、説明した。
 「いいか、よく聞きなさい。このスイッチはな」
 ごくり、と歩美が唾を飲み込む。
 「接触が悪いのじゃ。じゃからして、『えいやっ』という気合とともに、こう、垂直に真上から思いっきり押さないと駄目なんじゃ」
 「はあ……それだけですか? で、もし失敗したら?」
 「いや、ただ単に機械が動かないだけじゃがな」
 「………」
 そういえば博士はよくさもないことをあたかも重要なことのように言うことがある。これもトシのせいかと諦めていたんだっけ。歩美は溜息をつく。
 「わかりました。『えいやっ』ですね」
 「そうじゃ。『えいやっ』じゃ」
 「『うんしょっ』じゃ駄目ですか?」
 「『うんしょっ』では力が入らないじゃろう? ここはやはり『えいやっ』じゃ」
 「はいはい。『えいやっ』ですね」
 「うむ。では実験開始といこうかの」
 博士はおもむろに洗濯機に近づき、蓋を開ける。
 「では、わしがこの中に入るから、合図をしたらスイッチを『えいやっ』と押すんじゃぞ」
 「はぁい。『えいやっ』ですねぇ」
 そう言って博士は洗濯機の中に入ろうとする。が、全自動大型洗濯機とは言え、中はけっこう狭い。身体の固い博士は、うんうん言いながら何とか入ろうとしている。
 「はかせぇ。まだですかぁ?」待ちきれずに歩美が尋ねる。
 「む、ちょっと待ちなさい。いやこれは、どうやって入ったものか……」足をなんとか入れると腕が入らない。腕をどうにか入れると首が収まらない。
 「はかせぇ。手伝いますよう」そう言って歩美はつかつかと近づき、ぐいっとばかりに博士の身体を強引に押し込む。
 「ぐぇっ……こ、これ、もうちょっと優しくせんか……」
 「だってぇ、その中に入らないと実験できないじゃないですかぁ」
 博士の抗議の声に耳も貸さず、ぐいぐいと博士の身体を洗濯機に押し込む。
 どうにかこうにか身体全体が洗濯機の中に入ったようだ。中では博士の身体があっちこっち限界ぎりぎりにまで折り曲げられている。
 「ぐっ……苦しい……あ、歩美くん、早くスイッチを……」
 「はぁい♪」ばたん、と勢い良く洗濯機の蓋を閉め、操作パネルへとスキップする。
 「はかせぇ。もーいーかい?」
 「うぐぐ……も、もーいーよ……」
 「じゃあ……転送っ! 『えいやっ』!」
 しゅいいいいいん、という音とともに博士でみっしりの洗濯機が青白く光り、洗濯機の下から白い煙が漏れ出てくる。数秒後、ケーブルで繋がった冷蔵庫のほうも全体が青白い光に包まれ、背面からやはり白い煙が漂い出る。
 ばしゅううううん、という大きな音とともに洗濯機と冷蔵庫が眩く光り、冷蔵庫の蓋がばふんっ、と一瞬開いて、また閉まる。
 白い煙が収まった頃、ばたん、と冷蔵庫の蓋が開き、博士が頭を振りながらのそのそと出てきた。
 後ろを振り返って自分の出てきた冷蔵庫を眺め、
 「わははははははははは! 歩美くん! 実験は大成功じゃ!」と叫ぶ。
 「わぁ、博士、すごいすごい!」
 歩美はぴょんぴょんと跳ねながら喜んでいる。
 その時、
 

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